リアルな現状
朝からアライアンス企業との打ち合わせ、クライアントへの返信、経理の確認。スタッフへの教育。
気づけば夕方になっていて、自分の作業は夜に持ち越されることも珍しくありません。
独立したばかりの頃なら楽しくて仕方ないかもしれませんが、何年もこんな現状が続けば「こんなの全部私ひとりで背負うのか」と息が詰まっていただろうなと思います。
けれど今は違います。
責任は確かに増えました。会社の代表として、従業員の生活も背負っています。
でも不思議と、その重さが心地よく感じられるようになってきたのです。
責任を抱えているからこそ、手応えも確かにある。
その手応えが、私に自由の実感を少しずつ与えてくれています。
過去の自分
早く家を出たかった私は高校を卒業し、すぐさま就職をしたのは良いが、様々な苦難がありました。
朝8時半から深夜3時までという長時間労働も経験しました。
当初、私は「自由」という言葉に強く惹かれていました。
時間も場所も縛られず、自分の好きなように働ける。
やりたいことをやりたいようにできる。
そんな世界に憧れました。
しかし、待っていたのは想像以上の現実。
すべての決断を自分で下し、成果も失敗もすべて自分に返ってくる。
嫉妬、僻み、妬み、めくるめく人間関係。
必死に作業に追われ、週末も心から休めない。
“自由を掴んだはずの私”は、気づけば仕事に縛られていました。
気づき
そんな中で、ある瞬間に気づいたことがあります。
自由とは、ただの解放ではない。
自由とは、責任の上にしか咲かないのだと。
「自分で決める」ということは、「自分で引き受ける」ということ。
仕事を選ぶ自由も、休む自由もある。
でもその選択には必ず責任が伴い、その責任から逃げれば自由は崩れてしまう。
私はその事実を体で理解しました。
恩師との出会い
けれど、ただ理解しただけでは足りませんでした。
責任を「重さ」として捉えるか、「楽しみ」として引き受けられるかで、自由の拡がり方はまったく違うのです。
私ひとりの思考だけでは、責任を楽しむ境地には到底たどり着けなかったでしょう。
そんな私の視点を広げ、思考を思想へと育ててくれたのが恩師でした。
恩師は、私が仕事ではなく「志事」に興味を持ち、右も左も分からない頃から、ずっと背中を魅せててくれました。
「それは本当にやりたいことか?」
「緊張を楽しもう、それは武者震いだろ」
「大丈夫。きっとできる。」
その言葉をすぐに実行できたわけではありません。
むしろ、苦しい時には「楽しむなんて無理だ」と反発する自分もいました。
けれど繰り返し自問自答する中で、私は少しずつ「責任を楽しむ」という感覚を掴めるようになったのです。
恩師のおかげで、責任を抱える思考は、責任を楽しむ思想へと変わりました。
思想に変わったからこそ、日々の決断に揺らぎが減り、自由も確かなものとして見えるようになったのだと思います。
今の自分
今も責任は軽くありません。
むしろ法人化して従業員を抱えた今、以前よりはるかに大きな責任を持っています。
それでも、以前のように押しつぶされる感覚はありません。
なぜなら、その責任を「楽しむ」という感覚を身につけたからです。
任せられる仲間が増え、仕組みを整えることを覚えた。
そして何より、自分を律する強さを育ててきた。
責任を楽しめるようになった今、自由はただの理想ではなく、日常の中に息づく実感になりました。
小さな余裕や、ふとした瞬間に見える未来の景色。
それが私にとっての「自由」なのだと思います。
気づきのまとめ
希望はリアルの上にしか成り立ちません。
砂の上に理想の城を描いても、波が来れば一瞬で消えてしまう。
けれど自分を律する強さを育て、根を張り土台を築いた上なら、そこに立てる城は簡単には崩れない。
自由は甘美な言葉に聞こえるけれど、それを本物にするのは、自分を律する強さです。
そしてその強さを思想として育ててくれたのが、私にとっての恩師でした。
リアルを受け入れた分だけ、希望は現実に変わっていきます。
更なる自由人へ
自由はただ与えられるものではなく、責任を引き受ける勇気の先に見えてくる景色です。
その狭間に立ちながら、私は今日も選び、引き受け、そして少しずつ自由を拡げていく。
あなたにとっての自由は、どんな責任の上に咲いているでしょうか。
そして、その自由を楽しむ思想を育ててくれる存在とは、もう出逢いましたか?
私もまだまだ道半ば。
一緒にますます成長していければ幸いです。